「女心が分からない」を理由になんかさせてあげないから

デリカシーに欠けていて、女心が分かってない、分かろうともしてない彼氏の話をこっそり書き連ねていくお部屋。

私がメスであることが、彼を引き留めているのだとしたら。

男女が"付き合う”という関係性になる時、そこにはオスとメスとしての関係が構築されることは否めない。もちろん、そこには性的な欲望だけではなくて、心理的な安心感や相手にとって異性としての役割を持てたことへの満足感があることも承知している。

でも、それだけの繋がりであれば、“付き合う”という形をとる必要はなくて、“セフレ”とか、そういった関係性で事足りてしまうと思っている。

 

だからこそ、私たちの関係性がオスとメスという関係だけではなく、心を許せる友のような関係性をも内包しているものであることは、私にとっては重要なことであったりもする。何かを一緒に面白がったり、相手が一生懸命頑張っているものを本気で応援したり、時には深い対話をしたりするような。

 

それが、どうしても感じられない。

 

例えば、彼の部屋や旅先のホテルの部屋に到着したとする。

 

もちろん、そうした個室に付き合っている男女が来たとすれば、やるべきことの中にセックスが入ってくることはかなりの高確率である。そこは私も了承している。でも、それ以外のこともあると思っているし、それをどのタイミングでするかは考える余地があると思うのだ。

 

彼はものすごく分かりやすい性格をしている。そうやって部屋に入って自分がセックスしたいという気持ちになってしまうと、そればかりが思考を占領してしまうようで、あまり話を聞いてくれなくなる。

何か言おうとしても「うん、そうだねえ」と甘いテンションで言われるばかりでまともに取り合ってくれないことも多い。

そう来られると、まじめに対応しているこっちが馬鹿らしくなって、結局相手のテンションに飲まれてしまう。

 

その欲求が満たされた後だとしても、私が自分の話をしてもあまり興味を示さないことが多い。言葉を選ばずに言うと、趣味が合わないのだろう。私の好きなもの、頑張っているものを否定はしてこないが、くわしく聞いてこようともしない。

 

私は相手の好きなものも、頑張っていることも知りたいと思っていた。

でも、そう思っているのは自分だけなんじゃないかと思ってくる。

 

きっと私たちは、男女の関係になる前提で出会ったからこそこうして一緒にいることができていて、友達として出会っていたら離れていた関係なのかもしれないと思う。

 

私がメスで、彼がオスだからこそ成り立っている関係なのだとしたら、

私はメスとしての見られ方しかしていないのだとしたら、

 

この先、私が私という人間として彼を引き留めていける自身も希望も無くなってしまう。