私が、私として愛されている実感はいつまでたっても湧かない。
ある日、
「いい子だね」と彼に言われた。
いい子、は私にとって重い鎖のように感じてしまう言葉なのである。
いい子、に私のいろんな思いが閉じ込められてしまうのが苦しいのである。
私は長女として生まれて、どうしても「いい子」でいることで自分の立場を守ってきた。でも、いい子、には目立った個性もなければ特別感はない。
そのことに高校生くらいから悩みはじめ、いい子を捨てようとしては挫折していた。
大学生になって、ようやくいい子でなくても自分の存在を認めてもらえることを実感して自分らしく自分だけの価値で生きていくことができるようになった。
そのことは話していたはず、なのに、
ふとした時に彼から「いい子」だと言われて今まで築いてきたものがあっけなく壊されてしまうような感覚があった。
私の「いい子」な部分が好きなのかな、
やっぱりここでも「いい子」でいなきゃいけないのかな、
結局、私は私として愛されていないのではないかなと思ってしまった。
「いい子」が良いなら、他のいい子をあたってくれればいいのに。私は本当のいい子じゃないし、いい子で片付けられるほど、薄っぺらな人間じゃない。
彼から見える自分がどんな自分なのか、どんな面を見てくれているのか、内心楽しみにしていた気持ちはあっけなく裏切られた。
結局彼も私の表面しか見てくれないみたい。その奥にどんな思いを持っているのか、見ようとすることもないみたい。
というか、表面以外の部分を見るという発想がなかったのかもしれない。
顔がかわいいとか、体の相性がいいとか、優しくしてくれるとか、そういった表面上のところが良ければ、彼にとっては満足できてしまうのかもしれない。
でも、そんな女の子はきっとたくさんいる。私じゃない誰かでも、その役目は果たせてしまうだろう。
私は、私として愛されないならそこにいる必要はない。
大枠の「いい子で優しい女の子」として消費されるくらいならこっちから願い下げ。