「女心が分からない」を理由になんかさせてあげないから

デリカシーに欠けていて、女心が分かってない、分かろうともしてない彼氏の話をこっそり書き連ねていくお部屋。

選択を間違えた自分も、そのまま愛してあげたい。

そうこうして、私は彼氏と別れるという選択をした。実はこの投稿の数日前に電話をして、今までのたくさんの思いを話して、私は彼氏を手放した。自分が傷つくことは百も承知で、話した。話すまでの時間、胸の奥が痛かった。自分の中に愛が無くなったから何も思わないだろうと高をくくっていたけれど、やっぱり胸は痛んだ。9ヶ月という期間は、そうそう短いものではなかったらしい。

 

ここまで、思いの全てを言わずにいたことは卑怯なことだったかもしれない。相手からすれば、勝手に話が進められて、勝手に冷たくされて、勝手に彼氏という立場を剥奪されたような気すらしてるかもしれない。

 

私も、最初からいろいろと思っていたわけではない。

優しかったし、素直で正直だったし、嘘はつかないし、悪い人ではなかった。子どもや動物に優しくて、街へ出ると目を細めて見ていることが多かった。そして何より、私のことも好きでいてくれた。それは紛れもない事実だったと思っている。

 

でも、相手にとって、彼女になるべきは私ではなかったし、私にとっても彼氏にすべきなのは彼ではなかった。きっと、それだけのことなのだと思う。

 

 

 

最初に違和感を感じ始めたのは、このブログを始める少し前のことだと思う。

だから、違和感を感じたまま関係性を続けていたのは、約5ヶ月くらい。

その間、どうして私が“別れ”という選択をしなかったかというと、結局は自分が傷つきたくなかったからという理由に落ち着くのだろう。

 

彼について、いろいろと思うところが出てきたころ、私はこのことを周りに言えずにいた。デートで寝られたことも、クリスマスデートで一人泣いたことも、ほとんど言えなかった。

それは、”そんな彼を選んでしまった自分”を認めたくなかったからだ。

なんでそんな彼氏を選んじゃったの、と言われてしまうのが怖かった。

別れるという選択も、今まで彼と付き合ってきた自分の否定につながる気がした。そうやって自分が傷つくのが怖かった。

だから、何となく、いろんなことを飲み込んで、付き合い続けてきた。

そして、久しぶりにできた彼氏という存在を無いものとしてしまうことを惜しむ気持ちもあった。前に付き合っていた人と別れてからというもの、好きな人ができて自分から告白してもふられてしまうということが多かった。自分は女の子として誰かに好きになってもらえることがないんじゃないかとさえ思っていた。だから、出会ってすぐに告白してきて、私が怒ったりしても捨てたりしないで付き合ってきてくれた彼を手放してしまったら、それはすごくもったいないことになるのではと思っていた。

こんな私が、ワガママを言って彼にケチをつけて捨ててしまうなんて分不相応なんじゃないかと思っていた。

 

でも、そんなことをいつまでも言っていたら、私は私自身を守ることができなくなってしまう。自分の心はどんどんすり減ってしまう。

そもそも、一人でも生きていけるのに誰かと一緒に過ごそうとするのには、一緒にいることで幸せが大きくなると感じられるから。

少なくとも、今は幸せを大きくできているとは思えない。

 

それに気付いてから、決心はすぐついた。

 

お別れは電話越しだった。

想像よりはるかに冷静に彼は話を聞いてくれて、静かにうなずいていた。

 

私が全部話して、一呼吸おいて

「君のためを思うなら別れた方がいいんだろうね。俺はまだ好きだけど。」

その言葉をもってして、私たちは別れることになった。

電話越しの声は涙でぬれていたけれど、気付かないふりをした。

 

 

それから、「最後だからさ…」という枕詞を付けて話せることたくさん話した。彼氏彼女という縛りをなくして、本当に心のままに話した。今まで思っていたこと、自分の価値観の事、相手について思うこと。私も話したし、彼も話した。ここまで話したのは今までなかったと思う。初めて知ることが案外多くて、長く感じた9カ月も、本当に一瞬だったのだと気づかされた。

別れ話をした後にこんなに和やかな会話ができるとは思ってもみなかった。

どうして、今までこうやって話せなかったのだろう。こんなに話してくれるなら、もっと早くしてよ、

 

なんなら、別れるっていうものやめる?またやり直せたりする?

でも、私が大切にしたい価値観やポリシーの話をすると、

「やっぱりすごいね」

という言葉が返ってくる。

 

その言葉で我に返った。

その言葉は、彼は私の価値観とは遠い場所にいることを示していた。私たちの間に超えられない壁がある事を見せつけてきた。

その壁のせいで、私は今まで傷つけられ、悲しませられてきたことを思いだした。

やっぱり、別れよう。

 

 

その後もなんだかんだ思い出話をひとしきりして、そろそろ電話を切るかという頃、

 

「俺はさ、こんなにちゃんと人のことを好きになったり、ちゃんと話を聞いたり考えたりするの、初めてだったんだと思う。だからね、一緒に過ごせて本当に良かったよ」

 

そんな言葉をもらった。

 

その言葉があれば、私はこの9カ月間の自分を認めて愛してあげられると思った。

 

そんな彼氏と付き合って、時間を無駄にした自分、では全くない。

 

着実に、私は誰かの人生に関わった。その結果がどんなものであろうとも、私がそこにいた意味はあった。

 

結果的に見れば、私は選択を間違えたのかもしれない。確かに、間違いかもしれない。

でもそこにいた私は一生懸命生きたし、喜びも、悲しみも全部受け取ってきた。

それは誰に何を言われたって変わらないことだから。

 

そんな自分もその時間も、全部丸ごと抱きしめてあげたい。

 

今はそんな気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が、私として愛されている実感はいつまでたっても湧かない。

ある日、

「いい子だね」と彼に言われた。

いい子、は私にとって重い鎖のように感じてしまう言葉なのである。

いい子、に私のいろんな思いが閉じ込められてしまうのが苦しいのである。

 

私は長女として生まれて、どうしても「いい子」でいることで自分の立場を守ってきた。でも、いい子、には目立った個性もなければ特別感はない。

そのことに高校生くらいから悩みはじめ、いい子を捨てようとしては挫折していた。

大学生になって、ようやくいい子でなくても自分の存在を認めてもらえることを実感して自分らしく自分だけの価値で生きていくことができるようになった。

 

そのことは話していたはず、なのに、

ふとした時に彼から「いい子」だと言われて今まで築いてきたものがあっけなく壊されてしまうような感覚があった。

 

私の「いい子」な部分が好きなのかな、

やっぱりここでも「いい子」でいなきゃいけないのかな、

 

結局、私は私として愛されていないのではないかなと思ってしまった。

 

「いい子」が良いなら、他のいい子をあたってくれればいいのに。私は本当のいい子じゃないし、いい子で片付けられるほど、薄っぺらな人間じゃない。

 

彼から見える自分がどんな自分なのか、どんな面を見てくれているのか、内心楽しみにしていた気持ちはあっけなく裏切られた。

 

結局彼も私の表面しか見てくれないみたい。その奥にどんな思いを持っているのか、見ようとすることもないみたい。

というか、表面以外の部分を見るという発想がなかったのかもしれない。

顔がかわいいとか、体の相性がいいとか、優しくしてくれるとか、そういった表面上のところが良ければ、彼にとっては満足できてしまうのかもしれない。

 

でも、そんな女の子はきっとたくさんいる。私じゃない誰かでも、その役目は果たせてしまうだろう。

 

私は、私として愛されないならそこにいる必要はない。

大枠の「いい子で優しい女の子」として消費されるくらいならこっちから願い下げ。

電話を切った後、お風呂も入らず重い体をベッドに預けた

遠距離恋愛の私たちは、たまに電話をして相手の声を聞く事がある。

 

多くのカップルは、そうした電話で元気をもらったり、明日を生きる活力としたりするのだろうが、最近の私はひどい疲労感を感じてしまう。

 

悪い時は電話の終盤でベッドに身をゆだね、電話を切ってからは何もできなくてそのまま寝てしまうことだってある。

 

どうしてそうなってしまったんだろう。

 

 

そうなってしまったのがいつからなのか、もう忘れてしまった。

 

気付いたら、彼との電話で私はいつも彼の未熟な部分を「かわいいな」と思って聞けなくなり、「最近どう?」の問いかけに「ぼちぼち」と答えるようになり、電話したい、というLINEに対して「タイミング悪いなぁ」と思うようになり、時折訪れる沈黙のたびにため息をつくようになり、死んだ目でアハハと声だけ作り笑いをするようになっていた。

 

話している内容は、決して重苦しいものではない。

でも、ふとした会話の中で聞こえるワードに違和感を感じるたび、気持ちがまた一つと下がっていってしまう。

 

電話は顔が見えないから、声色だけ保っていればある程度はごまかせてしまう。

このモヤモヤした気持ちは、電波に乗り切らないで私の周りをゆらゆらと彷徨っている。

 

いっそ、それごと届いたらいいのに。

私も私で、中途半端なやさしさを持って電話に出て、声色を作って話してしまうからモヤモヤが伝わることもない。

いい子にしてたらサンタさんが来てくれるって信じてたのに。

2か月前、私のところにサンタさんは来なかった。

 

ウイルスにおびえながら、ひっそりと旅先でクリスマスを迎えた私たち。

彼氏とクリスマス当日を迎えるというのは、私の中では初めての経験だった。

それまで、いろいろとモヤモヤするところはあった彼氏だったけれど、イベントの効果でなんとなくその気持ちは薄らいで、純粋に楽しみな気持ちでこの日を迎えた。

 

クリスマスイヴの街は、浮足立った気持ちをあおるのに最高だった。

今回のクリスマス旅行の計画を立てたのは彼だったので、私は大方のスケジュールしか把握しておらず、そのドキドキ感も浮足立った気持ちを作る要因にもなっていた。でも、あまりに楽しみにしすぎていてもどうかと思って、内心のドキドキをひた隠しにして旅行のスケジュールをこなしていた。

まあ、ありきたりだけど特に欠点もない日中のスケジュールを終えて、いざ、夜。

 

一般的なカップルのクリスマスイヴの夜を期待していたわけでもないけれど、さすがにいつもとは少し違うものを用意しているのかな、と淡い期待が胸をかすめた。

でも、彼の口から聞こえたセリフは

「どこで食べよっか」

だった。

耳を疑った。

いくらこのご時世で例年よりひとどおりが少ないとはいえ、クリスマスイヴの夜に席が空いている素敵な店などあるのだろうか。

初めて迎えるクリスマスが、こんなにもあっけないものなのだろうか。

「あ、決まってない感じなんだ」

なるべく動揺を隠して言うと、

 

「うーん、調べるかぁ」

とのんきな顔。

 

さっきまで、大学生の飲食店バイト時代のクリスマスは鬼のように忙しかったというエピソードまで披露していたではないか。調べるかぁ、で見つかるものなのだろうか。

 

結局、一度ホテルに戻って店を調べ、50分ほどかかって見つかったお店はよくある居酒屋だった。

もつ鍋を二人でつついた。

「もつの白と、ニラの緑と、糸唐辛子の赤で、クリスマスカラーだね」

必死に笑顔を貼り付けて、私が何とか言えた言葉はこれくらい。

彼は

「そうだねあー、店探すの意外と大変だったわー!ここ、個室になってるし良かったよね」

と、安堵した面持ちでいたが、その笑顔はもつ鍋の湯気で霞んで見えなかった。

 

そんなことくらいで落ち込んでもしょうがない、そう思ってホテルに戻り、私は用意していたプレゼントを彼に渡すことにした。

お互い、誕生日にはプレゼントを贈り合ってしたし、遠距離で1カ月近く会えないでいたから、それくらいはするだろうと、勝手に思っていた。

 

プレゼントは喜んでくれた。そして驚いてくれた。私が想定ていたよりもかなりオーバーに。

 

それもそのはずだった。

彼は、プレゼントを持ってきていなかった。

プレゼントを渡すという考えがなかった、という。

 

 

私は何か高価なものが欲しかったわけではない。本当に小さなものでも、安いものでも、なんならプレゼントでなくでも手紙でも、よかった。

私のために、時間と労力を少しでも割いてくれればそれでよかった。

 

私には、そんな価値がなかったのだろうか。

 

ごめんね、と言われて、無理やり笑顔を作っていいよ、と言った。

彼はそれで何とかなったと思ったのだろう。

 

その後は普通にセックスして、普通に寝た。

 

照明が落ちてから、目から数滴涙が落ちた。

明日の朝に響くといけないと思って、こっそりマッサージをして、私も寝た。

 

心はもう、捨てた。

 

 

いい子にしてたらサンタさんが来てくれるって、どこかの誰かが言っていたけど、違ったのかな。

もしかしたら、こんなことを思ってしまう私はいい子じゃなかったのかな。

 

だとしたら、プレゼントがもらえなくて当然、ってこの苦い気持ちを飲み込むしかないのかな。

私がメスであることが、彼を引き留めているのだとしたら。

男女が"付き合う”という関係性になる時、そこにはオスとメスとしての関係が構築されることは否めない。もちろん、そこには性的な欲望だけではなくて、心理的な安心感や相手にとって異性としての役割を持てたことへの満足感があることも承知している。

でも、それだけの繋がりであれば、“付き合う”という形をとる必要はなくて、“セフレ”とか、そういった関係性で事足りてしまうと思っている。

 

だからこそ、私たちの関係性がオスとメスという関係だけではなく、心を許せる友のような関係性をも内包しているものであることは、私にとっては重要なことであったりもする。何かを一緒に面白がったり、相手が一生懸命頑張っているものを本気で応援したり、時には深い対話をしたりするような。

 

それが、どうしても感じられない。

 

例えば、彼の部屋や旅先のホテルの部屋に到着したとする。

 

もちろん、そうした個室に付き合っている男女が来たとすれば、やるべきことの中にセックスが入ってくることはかなりの高確率である。そこは私も了承している。でも、それ以外のこともあると思っているし、それをどのタイミングでするかは考える余地があると思うのだ。

 

彼はものすごく分かりやすい性格をしている。そうやって部屋に入って自分がセックスしたいという気持ちになってしまうと、そればかりが思考を占領してしまうようで、あまり話を聞いてくれなくなる。

何か言おうとしても「うん、そうだねえ」と甘いテンションで言われるばかりでまともに取り合ってくれないことも多い。

そう来られると、まじめに対応しているこっちが馬鹿らしくなって、結局相手のテンションに飲まれてしまう。

 

その欲求が満たされた後だとしても、私が自分の話をしてもあまり興味を示さないことが多い。言葉を選ばずに言うと、趣味が合わないのだろう。私の好きなもの、頑張っているものを否定はしてこないが、くわしく聞いてこようともしない。

 

私は相手の好きなものも、頑張っていることも知りたいと思っていた。

でも、そう思っているのは自分だけなんじゃないかと思ってくる。

 

きっと私たちは、男女の関係になる前提で出会ったからこそこうして一緒にいることができていて、友達として出会っていたら離れていた関係なのかもしれないと思う。

 

私がメスで、彼がオスだからこそ成り立っている関係なのだとしたら、

私はメスとしての見られ方しかしていないのだとしたら、

 

この先、私が私という人間として彼を引き留めていける自身も希望も無くなってしまう。

 

友だちと話している内容は、あなたが思うほどお花畑なもんじゃないの。

彼は、私が女友だちとどんな話をしているのかが気になるらしい。

特に、彼氏持ちの友達との会話の内容について楽しそうに聞き出そうとしてくる。

 

きっと彼の想像では、どんなエッチをしただとか、私の彼氏のここがいい、だとか、そんな話をしていることになっているのだろう。

そんな楽しい話なら、精神年齢が低い彼は聞いてみたいと思うのかもしれない。

 

でも、現実はかなり厳しい。

 

もちろん、夜の話もする。

するが、それは楽しかった思い出話ではなく、深刻な悩み相談だったりする。少なくとも、彼氏には直接いうことができないような話である。身体的なことよりも、心理的な話であることも多い。

 

彼氏の話、となると、たいていが愚痴になる。

どうして、が積み重なる会話は、決して当事者には伝えられない。

 

 

女子は、そういったシビアな話をしているのだ。

隠れてこそこそ、思わず聞き耳を立てたくなるような話をしているのではなく、聞いてはいけない話をしていることの方が何倍も多い。

 

女子のおしゃべり、はあなたが思うほどお花畑なものじゃない。

 

というか、自分についての話題が、そんなお花畑なものになるという自信は一体どこから湧いているのだろう。

へぇ、難しいこと考えてるんだね、ってさ、私はそんな言葉は望んでない。

 頭を動かして、考えることが好きである。

 

私は大して頭が言い訳ではないけれど、それでも私なりにいろんなことを考えてみるのが好きである。

そして、誰かと一緒に考えることもとても好きである。

 

だから、彼氏にもそれを求めようとした。

私が考えていることを知ってもらうことが、私を知ってもらうことにつながると思ったし、彼の考えていることを知ることで、もっと彼を知りたいとも思っていた。

 

でも、たくさん考えたことを話した後、彼の口から出てきた言葉は半紙みたいに薄いものだった。

「難しいこと考えているんだね、さすがだね~」

 

そこには、一緒に考えるとか、考えについて深堀りするとか、そういった選択肢は含まれていなかった。

まるで、私が彼に向って自慢げに演説していたかのような雰囲気だ。

 

きっとわかってくれる、と高をくくって話をしていたけれど、それは少し違ったみたい。

彼は、私の世界に入っては来ない。

 

私が開けた心の扉には、冷たい風が吹きこんでくるだけだった。